無謀なる「万葉集ナウ」を書き終えて
万葉ユトロギスト 小河原正己
「無謀なる」などと大仰な見出しを付けたが、二〇〇八年から放送のミニ番組「日めくり万葉集」のプロデューサーを引き受けてから今日に至るまでの数々の「無謀」を切り口に振り返ってみる。
そもそも最初の無謀は、現役時代ドキュメンタリー志向で、それまで一度も読んだことがない、何より大の苦手な古典文学など畏れ多いと当初は申し出を断ったのだが、代わりの人がいなくて引き受けたことに始まる。プロデューサー業の傍らディレクターとして五十本近い番組の制作もしたが、モノを知らずにモノを作るとなると、「無謀」から逃れるすべはなかった。
次なる無謀は、われながら思いもかけず、万葉集に「老いらくの孤悲」に落ち、四年間の放送が終わってから「万葉集宣伝係」を自称して活動を始めたこと。まずは文化センターで番組の選者と対談形式の講座を開講、人気講座に。選者の一人、「無頼派宣言」の作詞家に万葉秀歌を現代歌謡に改題してもらい、クラシック界の貴公子大友直人氏の作曲、シャンソン歌手クミコさんの歌という異色の組み合わせでCD「合歓の孤悲」を制作、「ラジオ深夜便の歌」に採用され話題となった。
無謀の三幕目は、極めつけの無謀、これまで誰も手を付けたことがなかった万葉集の舞台化だった。ドラマ制作の経験はゼロ、生の舞台は見たことさえない。予算がないので脚本は自分で書くしかないが、さすがに演出は無謀に過ぎる。そこで、地元に帰っていた元ドラマ部の友人に頼んだが、彼も舞台は初めて。結局万葉故地高岡と鳥取で三度の公演を決行することになったが、ありがたいことに、最後の舞台に、なんと「舞台の神様」が舞い降りてきてくれた。そして、その直後、「万葉の神様」まで新元号「令和」を連れて降りてきてくれたのだ。
無謀のフィナーレは、好機到来とばかり、夢の東京浅草公会堂での自主公演を決断したこと。ところがその後舞台は暗転。パートナーのプロデューサーに去られて奈落に墜ち、素人興行師の情けないところ、泣く泣く公演を中止。痛恨の極みだった……ところが、世の中何が起きるか分からない、その直後世界が暗転。直前に中止したおかげで、コロナ禍によるイベント被害を免れることができた。不幸中の幸いだった。
そして空いた時間、その一部始終をネットに五十数回にわたり執筆連載、この九月に書き終えた。
このような波乱万丈の経験から学んだことは、「無謀とは、かくも怖ろしく、また面白きかな」。そんな無謀なる「万葉集ナウ」、ご笑覧いただけたら幸いです。(「万葉集ナウ」で検索できます)