大柴晏清君の事

大柴晏清君のこと

  会員作品集に大柴君の小説が多く載るようになりましたが彼のことを少し書いてみました。

 

彼とは小学校入学当時から65年もの長い親友である。

大柴君の高校時代から現在までの「生きざま」(こんな言葉はないかもしれない)は皆さんご承知のとおりです。(文学部・バスケットボール・銀座こつるぎ寿司・小説家・×××)現在も作家への道を進んでいる姿はなんとも言いようのない、敬服の一語につきます。

そんな彼との思い出を・・

甲府空襲で家を失った人のために復興住宅が甲府二高の運動場(現在の県民文化ホール・旧西青沼町)に建てられ、そこで知り合ったのがことの始まりでした。(同級生の備中君もいました。(穴切・西中・一高では同じクラスになったことはなかったです)

彼の小説の中に私の知っている何人もの固有名詞が出てきますが、私らしき人物の登場はありません。私などは小説の題材になっても可笑しくないくらい話題や、問題児だったのですが、友人の情けか、私に関連した小説を送ってこないのか分かりませんが・・・・

君が代も歌えない音痴、運動はできない、虚弱児童と来ており、いじめの対象者でした。いつもかばってくれたのが大柴君でした。彼のお母さんにも可愛がって頂きました。現在掲載してあります、「甲府駅」「丑三つ時」に登場する母親です。

また、彼が最盛期の頃(昭和63年頃)、私が知的障害者施設の施設長の任にあった時、わざわざ東京から韮崎市穴山まで新鮮なネタ持参で、「東京銀座の一流のすし」をと慰問に来てくれた時は感謝感激でした。

今回ホームページに、彼の小説の投稿を依頼したところ快く引き受けてくれ、多数掲載に至ったている次第です。

そして、大柴君は、何でも、中島敦の(山月記)とか、梶井基次郎(檸檬)、島木健作(赤蛙)志賀直哉(小僧の神様)、林芙美子(晩菊)、芥川龍之介(蜜柑)のような短編作品が好きなようです。そして、大先輩、中村星湖先生の最後の弟子として、意地でもと云う気持ちで、そういう掌編を創りだしたいらしいです。「命ある限り、頑張る!・・・・」と言っているので陰ならず応援したいです。

 

投稿に対して会員皆様から掲示板でコメントを頂いておりますが、本人曰く「読んでいただけて有難いです、書く事に専念し掲示板等へお礼や投稿は遠慮します」とのことです。ご理解下さい。これからも、投稿がいただけると思いますが、ご愛読とコメントをお願いいたします。

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コメント: 1
  • #1

    London蒲鉾 (木曜日, 19 9月 2013)

    神話
    大柴さん、「神話」を拝読しました。
    小説を書くには、自分の人生体験からや想像の世界で作り上げる事もあるでしょうが、色々と資料を集めたり、実際に現地に行ったりしなければならない事もあるので、違った世界を見る事も出来ますね。
    でも大変な仕事だと思っています。
    仕事の傍らに、題材を変えて、精力的にこの様に、次から次へと小説を書き続ける努力は大したものだと、いつも尊敬をしています。
    一度その原点を聞きたいものです。
    でもこれは企業秘密ですか?(笑い)
    ところで現今は当用漢字と言う漢字制限があって、漢字本来の意味を含めた漢字を使わずに、ひらがなで表現される様になりました。
    今回はふりがなをつけて下さいましたが、いつも難しい字が出て来て読めない時もありましたので、その都度internet辞書を開いて、漢字の勉強もしています。
    蒲鉾の由来であるInternetは、実に便利な現代の文明の利器です。
    昔、書き取りの試験は苦手でしたが、漢字文化の日本人はやはり漢字の一つ一つの文字が持つ意味を理解する事は楽しい事だと思います。
    昔生まれた先輩から見れば、私なんぞは若輩の漢字人間ですが、時代が変わって、この頃の若い人達には更にeasy goingの文字離れ、漢字離れの傾向があるでしょうから、私も少しは前世紀に属する人物になってしまったのかと思っています。
    シジフォスの神話は知らなかったので早速調べてみます。
    最後の数行は人間臭くて良かったですよ。