山梨アーカイブ 昭和35年 天野親子知事

昨9月21日の夕方6時10分からのNHKニュースの中に金曜山梨アーカイブと言う番組があり、その番踏みの中で昭和35年山梨県民会館が出来、竣工式の模様を放映しておりました。その主役は天野久山梨県知事、4期16年の県政の施策の中の一環で建設したものです。8階には展望レストランや結婚式場もありました。その隣には今は取り壊されていますが大ホールがあり、歌謡ショーなど行なわれ、今の県民文化ホールが出来るまで、主要な文化拠点となっておりました。

私が就職した家電の系列店で毎年ザ・ピーナツや坂本九等を招いて招待歌謡ショーを行なった思いでのホールでした。つい2年前までは私が所属しております山梨県行政書士会の事務所も此処にありましたし、今でも、8階の建設業対策室には仕事で訪れます。

新笹子トンネルや富士スバルラインを建設したのも、天野久氏でした。それから24年後その息子さんの天野建氏が知事に当選し、親子2代で県政運営をしました。親子といっても久氏は今で言うメタボの象徴的でバイタリテーむき出しの人であり、建氏はおとなしそうなスマートな人でしたね。

金曜日放送の山梨アーカイブ興味深く懐かしく見ております。

 

蛇足ですが、天野久氏は田辺七六経営する田辺酒造で酒造りを学び笹一酒造を設立し甲州戦争と言われる政争の火種となり、5選目は田辺七六の息子田辺国男氏に敗れましたが、天野建氏が小沢澄夫氏と争った知事選挙では田辺国男氏は天野建を押し天野親子の知事誕生に貢献しました。